逍遙楼
所在地:桂林市秀峰区濱江北路北地区 東西巷付近
訪問理由:桂林市街の新しいランドマーク
当サイト評価:★★★★
営業時間:9時から18時まで
逍遙楼
逍遙楼は、桂林市濱江路北端の解放橋と伏波山の間に位置します。唐の武徳4年(621年)に桂州総管・李靖によって建造され、唐代の桂州城の東城楼でした。顔真卿筆の「逍遙楼」石刻が掲げられたことからこの名で呼ばれ、現在は桂林市街の新たなランドマークとなっています。
逍遙楼は唐、宋、元、明、清の時代に損壊と再建を繰り返し、最終的に抗日戦争中に破壊されました。2015年1月、桂林市の関連部門が濱江路での逍遙楼再建に着手しました。建築は二層三檐の楼閣式景観建築で、高さ約24メートル、長さ・幅ともに22メートル、建築面積630平方メートルです。

楼内には歴史文化展示エリアがあり、二階は景観回廊となっています。回廊に立つと、漓江、訾洲公園、遠くの七星景区を見下ろせ、市民や観光客に新たな眺望を提供します。
歴史
逍遙楼は唐の武徳4年(621年)に初めて建立されました。当時、桂州総管の李靖が独秀峰を中心に桂州城(「子城」と呼ばれる)を築き、逍遙楼は子城の城壁に位置し、桂林東部の制高点となりました。唐宋以来、逍遙楼は文人が登臨して景色を楽しみ、詩を詠み、絵を描き、宴を開く優れた場所であり続けました。歴史的な逍遙楼は、中原の人々が湘桂回廊を通じて桂林に入る際のランドマーク建築でもあったため、失意の官吏も詩人も、逍遙楼に登り詩を詠み抒情を表す衝動を常に抱いていました。

千年以上の歳月、逍遙楼は風雨に耐え、幾度も破壊と再建を繰り返しました。宋の崇寧元年(1102年)、広西提刑の程節が逍遙楼を再建し、桂林が湘水の南にあることから「湘南楼」と改名しました。しかし文化的教養の深い桂林の人々は「湘南楼」が地域性を強調する一方で歴史性と人文性に欠けると考え、やはり逍遙楼の名を復活させました。
抗日戦争中、逍遙楼は戦火で焼失しました。1939年には逍遙楼の城壁が撤去され石材は橋の建設に転用され、逍遙楼石碑は保護のため七星公園の普陀山に移されました。文化大革命初期に「逍遙楼」の文字は損傷を受け、1972年に桂林市文物管理委員会が古い拓本をもとに石碑を修復しました。

再建
2014年、逍遙楼の再建が正式に市委員会・政府の議題に上り、政府はこのプロジェクトを「桂林文化の力を探り、桂林文化の価値を発掘する」重要な一環として位置付けました。再建地は最終的に解放橋の西北隅、逍遙楼の旧跡から遠くない場所に決定され、唐代様式で建設されました。一年後、逍遙楼の雄大な姿が再び世の目に現れ、永遠に名高い建築がかつての栄光を取り戻しました。

逍遙楼は桂林市の歴史的盛衰と文化的輝きを担い、過去における桂林市の重要な文化的象徴です。その再建は人々の逍遙楼への歴史的記憶を呼び覚まし、桂林の歴史文化を発掘・振興させ、歴史文化都市としての桂林の文化的品位を高め、桂林の人々の文化的自信と誇りをさらに向上させ、桂林の観光文化産業を豊かに発展させます。
旅行情報
中国語名:逍遥楼
入場料:無料
開放時間:9:00~18:00
建造年:唐・武徳4年(621年)
ベストシーズン:通年
アクセス:バス2番、9番、10番、11番、14番、21番、24番、25番、28番、30番、206番に乗車し、「解放橋」バス停で下車。
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