拙政園
所在地:中国江蘇省蘇州市平江区東北街178号
訪問理由:ユネスコ世界遺産 中国で最も有名な古典庭園の一つ
当サイトの評価:★★★★★
営業時間:7:30 - 17:30(3月1日から11月15日)
7:30 - 17:00(11月16日から2月29日)
拙政園
拙政園は、明の正徳4年(1509年)に最初に造営され、500年以上の歴史を有しています。庭園は蘇州古城の北東隅(東北街178号)に位置し、中国江南地域の古典庭園を代表する作品の一つです。拙政園は1961年に国務院によって全国重点文物保護単位に指定され、北京の頤和園、承徳の避暑山荘、蘇州の留園と並んで「中国四大名園」の一つとして知られています。総面積は51,950平方メートルで、蘇州で最大の庭園です。1997年には、拙政園は蘇州の他の古典庭園と共にユネスコ世界遺産に登録されました。その設計は中国各地の多くの庭園で模倣されており、ニューヨークのメトロポリタン美術館には複製さえ存在します。

庭園全体は水を中心とし、緑の築山、繊細な亭、豊かな花木に満ち、詩情画趣に溢れ、江南地方の特色が豊かに表れています。主要な景観には「遠香堂」、「香洲」、「荷風四面亭」、「見山楼」、「枇杷園」などがあります。住宅区域にある建物は典型的な蘇州様式で、現在は展示室として利用されています。中区は庭園全体の精華であり、面積の三分の一が水で覆われています。池の周りには木々と建物が配されています。

この良好に保存された私家庭園では、独創的で精巧な設計と、心の奥深くに静かに潜む穏やかな心境を楽しむことができます。また、湖石、楼閣、曲径、回廊など、中国伝統庭園の基本要素を考察するのも大きな楽しみです。

拙政園の沿革

正徳帝の治世中(1506-1521年)、この地には大弘寺がありました。当時、明代の監察御史で詩人であった王献臣がこの寺を接収し、私邸へと改築しました。1510年、彼は父の死を機に故郷の蘇州へ隠退しました。幾度かの降格と昇進を経験した波乱の官吏生活を経て、最後の官職であった浙江省永嘉県知事を辞し、庭園の造営に着手しました。しかし、王家は庭園を維持することができませんでした。数年後に王献臣が亡くなると、その息子が賭博の借金を返済するため庭園を手放してしまいました。その後数世紀にわたり、庭園は繰り返し所有者を変え、様々な人々によって再建されました。そのため、私たちが今日目にする庭園は、王献臣が楽しんだものからは大きくかけ離れています。
1991年、国家計画委員会、国家旅遊局、建設部によって「全国特殊旅遊観光地」に認定されました。
1997年、ユネスコにより「世界遺産リスト」への登録が承認されました。
2007年、国家旅遊局により、初の国家AAAAA級旅遊景区の一つとして認定されました。
拙政園の設計配置

今日の庭園は主に三つの部分から構成されています。中央部分は「拙政園」と称され、東部はかつて「帰田園居」と呼ばれ、西部は「補園」として知られていました。それぞれが独自の特徴を持っています。
東部
東部は広々とした開放感が特徴です。中央の大きな芝生と池の組み合わせの周りに、いくつかの建物が配置されています。芝生は紫薇(さるすべり)の木立に囲まれており、これは唐代の中書省が「紫薇省」と通称されていた故事にちなんでいます。この区域の建物には、「秫香館」、「天泉亭」、「緑漪亭」、「芙蓉榭」、「綴雲峰」などがあります。
中部
中部は庭園全体の精華であり、主たる見どころです。この区域は「広池」を中心に多くの景観が配置されています。池の中には三つの島があり、東海の仙境の景色を再現しています。「香洲」、「雪香雲蔚亭」、「梧竹幽居」、「遠香堂」、「松風水閣」、「小飛虹」、「玉蘭堂」、「海棠春塢」などが、この区域のハイライトです。

西部
西部には精巧な建物が集まっており、「笠亭」、「宜両亭」、「卅六鴛鴦館」、「浮翠閣」、「留聴閣」、「倒影楼」、「与誰同坐軒」、「波形廊」などがあります。建物は多いものの雑然としておらず、小さな築山や池も窮屈な印象を与えません。この区域は中央部の約半分の広さで、やはり水景が主体です。池は南北に走り、中央部に島が浮かんでいます。小規模ながらも、緻密で精巧な計画のもとに造られています。
南部
庭園の南部は住宅区域であり、中国江南地域の典型的な住宅パターンを反映しています。庭園の南側には「蘇州園林博物館」があり、これは中国国内で唯一の庭園専門博物館です。
拙政園への行き方
55番、178番、202番、262番、309番、518番、529番、811番、923番などのバスに乗り、「蘇州博物館」バス停で下車します。
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